店の古い写真を整理していたら、一束の新聞記事が出てきました。
北海道新聞「エゾシカ肉を追う(上・中・下)」。1998年(平成10年)1月20日から3日間の連載です。
写っているのは、まだ若い頃の父――
上田精肉店の上田邦夫でした。
いまでこそ「ジビエ」という言葉を当たり前に聞きます。
でも、この記事が出た頃、鹿の肉をきちんとした”食材”として世に出すことは、まだ誰も歩いていない道でした。
せっかくなので、この記事のことを書き残しておきたいと思います。
「欧州にもない品質」――連載(上)
初日の見出しは、「欧州にもない品質 食用化どう実現」。
フランスの三ツ星シェフが、エゾシカ肉のローストをひと口食べて「最高」と評した――
そんな場面から記事は始まっていました。
全国の名店がシカ料理を出しはじめた時代 この北海道の鹿を”ブランド”に育てられるか、と新聞は問いかけています。
華やかな話ですが、うちの現場から見れば、ここはまだ入口でした。
「事業化に欠かせぬ 肉質管理の徹底」――連載(中)
二日目の焦点は、味の前に立ちはだかる肉質の管理です。
どんなにおいしい鹿でも、獲ったあとの血抜きや時間の扱いをひとつ間違えれば、肉は台無しになる。
だから、獲る人=ハンターの技術がすべての土台になります。
記事の中で、父はこう話しています。
「この10年、ハンター教育の日々だった」
いつも父も母も、休みなく働いていました。
ハンターさんたちとのやり取りも、父の日課でした。
そして父の右腕だった門間さんが現場を仕切り、一頭一頭を査定していく。
二人はまさに阿吽の呼吸で、この仕事を回していたのを覚えています。
一頭の鹿を、安心して食べてもらえる食材に変える。
その地味な積み重ねの日々を、父も、門間さんも、10年続けていました。
「人気のない部位の 有効利用が課題」――連載(下)
最終日のテーマは、いまで言うフードロスでした。
ロースやヒレは人気ですが、モモ、スネ、首、前足、バラといった部位は残りがちです。命を一頭いただくのなら、全部を活かしたい。ソーセージやカレーなどへの加工で、その部位に
光を当てる――そんな取り組みが紹介されています。
「一頭を無駄にしない」。
うちが今も大事にしている考え方は、26年前からここにありました。
父自身の言葉
連載から数年後、父はエゾシカ協会の会報にこんな一文を寄せています。
エゾ鹿との出会いは、かれこれ36年になろうとしています。
「エゾ鹿の肉食べて美味しかった。又食べたいね!」
そんな食べ物になって欲しかったのです。
処理場も冷蔵庫もない、ハンターとの関係もない――本当に何もないところからの出発だったこと。それでも「自分が自信を持って売り出せる物だけを届けたい」と決めたこと。
飾らない言葉で綴られていて、私はこの一文がとても好きです。
そして、いま
あれから、鹿肉は静かに根を張っていきました。
私も店に入り、いまでは東京や大阪のレストランへエゾシカ肉をお届けし、インターネットでも全国のお客様とつながっています。
「エゾ鹿肉は高たんぱく、低カロリー高鉄分」と、健康の面から選んでいただくことも増えました。
「食用化、どう実現するのか」と問われた1998年の宿題に、時間をかけて、少しずつ答えを出してきたつもりです。
最後に
エゾシカをどう管理するか。増えた命をどう無駄なく活かすか。この土地の仕事をどう続けるか
――四半世紀前の3日間の連載が投げかけた問いは、そっくりそのまま、いまの私たちの問いでもあります。
新得の小さな精肉店が、答えのない時代に一歩を踏み出していた。
その記録を、もう一度ここに残しておきます。
上田精肉店 上田隆史
(記事出典:北海道新聞「エゾシカ肉を追う(上・中・下)」1998年1月20〜22日ほか)
















